
初冬のヨーロッパでは、死者の日あり万聖節あり精霊の祭りあり、これから始まる長い長い冬への越の祓えをする。以前、ポーランドにおどりに行った際、11月1日に墓地につれていってもらった。日本でいうお盆なのだけど、その日は死者も生者も交われるそうだ。
同じ時期メキシコでも、ドアというドアが開いていて出入り自由の死者の祭りがある。
こないだの満月からこっち、自分の内に、強く掴みすぎて「ある」ことにすら気付けなかった想いに目をむけることができた。
手放す必要はないけれど、掴みつづけることにも執着しなくて良いんだと、思えたのは、先日のライブsarasuvathiで「悲しくてやりきれない」を聞いた時だった。
歌姫たちは、悲しみはホールではなく輪で、ここが行き止まりや底ではないって歌ってた。そして、あの曲が当時発売禁止になった曲を逆回転させたとこからできたって教えてくれた。逆さ、回転、輪、ふぅん、これもまたリズムなのか。と妙に腑に落ちたら、歯車がかみあったように何かが動き出した。
浸れるときは浸った方がいいよね。あたしはしばらくの間、それを自分のこととして感じることを避けてきたので、掴んでいることにすら気付かなかった訳だけど。避ける必要があるだけの時間は過ぎて、いま溢れはじめてる。
ライブでおどった曲は「夢轍」という曲。バラバラに散ったものをコギレイにまとめるなんてしなくていい、とおどった。
その時感じれるだけのことを充分に感じて、その時自分ができる限りのことをしながらいきる。そうして過ぎる日々のためにかわからないけど、人は至るところに再生を祝う日を準備しているんだな。
新月もまた然り!
今日はなにか個人的な再生を祝ってみよう!